『徒然なるままに・・・』 第17回目を担当します、五島営業所 橋詰 好輝です。西の果てより「そこはかとなく」お送りいたします。

みなさんは五島の位置関係はわかりますか?アイティーアイ株式会社に入社して認識させられたのですが、五島列島って、私たち五島人が考える以上にかなり認知度が低い場所でした。

九州以外から来られるメーカーさんなど、「明日の訪問ですが、長崎市内からレンタカーで行きます。どれだけかかりますかぁ?」などと問われることもあります。通常はそれほど慌てないのですが、お客様に面会の予約を入れた非常に重要な訪問の場合もあり、

 

「く る ま ぢゃ 無理いぃ~~~!」とツッコミ

 

急いで飛行機、船の手配を手伝った事もしばしば。

 

 

そんなことを考えているうち、私自身も実は地元の事をあまり知らないのではと心配になり、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で五島について調べてみることに・・・・

ネットの情報量ってスゴイことになっていますね!

五島市の歴史から出身有名人まで、五島の住人すら知らないありとあらゆる情報があふれておりました。

ここで紹介するより是非一度のぞいてみて下さい。

岩谷テンホー氏が上五島出身というのが シ・ブ・イ でしょ)

 

何気にマウスのホイールをコロコロ回して斜め読みしてみると・・・・

『2006年五島列島近海での石油埋蔵の可能性が高いとの政府発表があった。詳細な調査はまだこれからだが・・・』

『んっ? 石油埋蔵の可能性・・・』

 

 

でえぇぇぇぇ~~~!!!知らなかったっす!びっくり仰天。マジに二度見しました。

『・・・五島列島にも石油関連産業の施設が作られるという期待もでている。』

五島に石油関連産業!五島に石油!ごとうに石油!石油、石油、石油・・・・

 

その晩、石油王になった夢を見ました。

頭にターバンを巻き、長~いリムジンに乗りながら飲むブランデーは格別です。是非一度お試しを。

 

 

 

さて、実のない話はここまでにして、以下本題です。

昨年末、印象深い出来事がありましたのでそれをご紹介します。

みなさん、『スマイリームーン』ってご存知ですか?ニュース等で取り上げられていたので知っている方もいるかもしれません。私も今回初めて知りました。

実は、『スマイリームーン』が観測されたその日、我が家族にちょっぴり悲しい出来事があったのです。

ピーちゃんこと、第二子が流産で産まれることが出来ませんでした。(4歳の娘がつけた名前です)私も妻も、妊娠中の検査でなんとなく覚悟は出来ていたのですが、実際そうなるとやはり悲しく、入院した妻にもなんと言葉をかけてよいのやら。ただただ黙り込んでしまう有様。夫として情けなかったです。

手術をしたその日、娘とお見舞いに行き、帰路どんよりとした気持ちで駐車場へ向かっていたその時、

娘:「おとうさーん、ニコニコがあるよー

 

私:???「えっ?なに?」???

娘:「ほらー あそこー

???

私:???「えっ、どこ?」

???

しばらくこれを繰り返し。

 

 

娘:「お空だよぉー

 

 

・・・やっと気が付きました。

 

街の明かりが少なく星が大きく見える五島では、それはそれは輝いた可愛らしい笑顔。

まるで星になったピーちゃんが「心配ないよ。元気だしてね。」と笑いかけてくれているような。

 

普段は「証拠」や「検証結果」などを論拠とし多用する仕事柄、「説話」や「信仰」などにはあまり興味はなく、混むからと初詣は一日前倒しに大晦日に済ませる私ですが、さすがにその日だけは月と金星と木星さんに慰められてしまいました。

 

 

最後に、写真の使用を快諾くださいました明石市立天文科学館の井上様、ありがとうございました。

2009年はガリレオが宇宙を望遠鏡で観測して400年を記念する世界天文年だそうです。

少し星に興味が出てきたかも・・・・

『徒然なるままに・・・』 第18回目は 私が営業の鑑と仰ぐ、

川内営業所 角所長です。宜しくお願いします。

 

『徒然なるままに・・・』 第16回目を担当させて頂きます大村支店の山崎と申します。

実は私、今回のお正月休暇(12月27日~1月4日)で体重が6キロも増加してしまいました(泣)

原因は、久々の長期休暇だったので実家に帰省していたのですが、実家に帰ってみると、なんと大好

物のお汁粉が鍋に用意されていて。半日で、お餅10個(直径8cm)も加えて全て一人でたいらげて

しまいました。

それだけで、十分体重増加しそうですが、その日の夜遅くに中学校の同級生から飲み会に誘われて

楽しさのあまり・・・・翌日の朝7時まで飲んでしまいました。その後、一眠りして祖父母に年末の挨拶

をしに会いにいくと。なんと此処にも、お汁粉が用意されているではありませんか(笑)祖母は80歳を越

えて足が悪いのに、わざわざ自分のために作ってくれたのに。食べれないとは言えず・・・・なんと丼に

杯(直径5cmのお餅9個つきで)食べさせていただいたうえに、手作りの羊羹・年越しそばもいただ

きました。その後、親戚が続々と集まり、また、朝まで飲み会(泣)久々に合う親戚の叔父さんに意識

無くなる寸前まで飲まされダウン

実家に帰ってからも、食べては寝て起きては食べての繰り返しを丸二日続けて・・・。

1月2日の夜に、スボンのベルトを締めようとすると、いつもの穴より二つも外の穴にしか入らないでは

ないですか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐る恐る体重計に乗ってみるとなんと6キロも増加しているではあ~りませんか(泣)

直ぐに、押入れの奥底にしまっていたウィンドブレイカーを取り出しランニングに出発。

開始30分後、水溜りですべり転倒 ⇒ 足負傷 ⇒ 終了

 

と、最高の正月休暇でした。とりあえず、今年の私的な目標は10キロ減量にします。

(注)私の実家・祖父母の家でお汁粉が用意されていたのは、私の大好物だという事で作ってあっただけで、実家の付近では、正月の雑煮の代わりにお汁粉を食べているのではありませんので。勘違いなさらぬ様、お願いします。

次回、徒然なるままに・・・は、五島営業所の橋詰係長です。宜しくお願いします。

 

『徒然なるままに・・・』のリレーブログ第15回目を書くことになりました在宅医療専任部の白石です。私は昨年の12月7日に長崎県雲仙市小浜にて行われた雲仙市 湯・YOUマラソン大会について書きたいと思います。

もともと長距離が好きだったわけでも無いのですが、スポーツ観戦はなんでも好きで、マラソンや駅伝も例外ではなく、テレビ等で放映されているとついついスタートからゴールまで2時間半余り見続けてしまうこともあります。

マラソン参加のきっかけはITI社員の方から「今度マラソン大会に参加しない?できるよ!」の一言から始りました。今回で7回目のマラソンになり、雲仙市 湯・YOUマラソン大会 20Km 40歳代の部に参加しました。

大会に申込みを済ませると、必然的にその前の練習が始ります。人によっては、朝、夜、昼休み時間に走る人もいるようです。私は休日の朝、まだ家族が寝ている間に練習に出かけます。朝から7~8Kmほど走るのですが、やはり一流ランナーは違います。先日、現役を引退した高橋尚子さんは朝の練習で20~30Km、調子の良い日は50Kmほど走るそうです。まさにこれが「朝めしまえなのである!」

 

またここまで来ると体が自然と反応するようで、引退した後も市民マラソンのスタータとして招かれながら、自分の号砲の後を続いてハーフマラソンに参加してしまうほどである。この領域には至ってはいませんが、走った後のすがすがしい気分・ことにその後の朝食は大変おいしく頂けます。

 

 

さて、先日のマラソン大会ですがこの大会はとても副賞が多く、参加者全員へタオル・温泉入浴券(近くの温泉宿にて入浴可)・お土産800円券があり、完走後に特製豚汁が振舞われます。また、閉会式では各種表彰に続き、お楽しみ抽選会まで行われます。液晶テレビ・航空券(東京-長崎)・温泉宿泊券・ハマチ・地元じゃがいも・湯せんべいと数々の景品があります。今回ITIより参加した方々は皆完走しましたが、景品獲得とまでは行きませんでした。

 

 

 景品は来年のしみとして、その後おいしいちゃんぽんを食べて帰りました。皆さんもこのような大会へ是非参加してみませんか?いろんな発見があるかも知れません。

私の将来の夢は家族で「ハワイのホノルルマラソン参加」と考えています。

 

次回は 大村支店  山崎 修治さんへお願いします。

ITC業務管理部 山下です。2009年のトップバッターという大役、徒然なるままに何をつづろう・・・・・一生懸命少ない引き出しを開けてみます。

この年末年始のお休みを故郷や実家で過ごされた方、多いのではないでしょうか?もう離れて10数年経ちますが、私が生まれ育ったのは、東京の下町、文京区根津

東京大学の赤門と上野公園(上野の山)、谷中霊園に囲まれた、ギリギリJR山手線の内側、徳川六代将軍、家宣ゆかりの根津神社(根津権現さま)のお膝元、明治時代には森鴎外、夏目漱石・・・多くの文豪が住居を構えた歴史と教育と文化の街・・・などと今ではガイドブック的に紹介できるのですが、子供の頃はそんな歴史や文化とは一切無縁、東大安田講堂前の木に登り、根津神社のつつじの咲いている丘は、鬼ごっこするにはもってこいの遊び場、学校が終わると駄菓子屋さんには子供が群がり、お鍋を持っておとうふを買いに行っていた母は、井戸端会議でいつまでも家に戻らず、隣の晩ご飯のおかずを当てることが出来るくらい情報が筒抜け・・・・口は悪いが、情には厚いそんな街で育ちました。

バブルで地上げが横行した時代、長屋は無くなり、道路拡張で表通りは鉛筆のような細長いビルやマンションが増え、空が狭くなった気がしますが、一歩、路地に入れば木造の建物が残り、猫が塀の上で昼寝をする。まだまだ下町情緒を味わう事ができる街です。タウン誌の名前から最近では谷根千などと呼ばれ〔*台東区の谷中、文京区の根津、千駄木地区の総称〕今では休日になるとマップ片手に下町の路地裏観光をする人や5月の〔つつじまつり〕の期間になるとバスツアーまで組まれ、小洒落たカフェや老舗風のお店も続々出現し、プチ観光地化しています。

地元にはまだ友人がいるので、自分が根津を離れても郷愁を抱いた事は無かったのですが、2006年9月の権現さま〔御遷座大300年祭〕の後、とてつもない寂しさに襲われました。なんせ300年に1回の大祭、祭の後の・・・だったからか。

今考えてみればあれが“郷愁”というものなのかもしれません。自分自身の原点、街並み、人とのつながり、勝手を知っている安心感、そして今はここに居ない寂しさ、全部ひっくるめ、地元の良さを実感できた瞬間でした。

 

                                                                                                   根津神社御遷300年大祭パンフレットより

根津神社は日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社である。江戸になって宝永三年(1706)五代将軍徳川綱吉が現在の社殿等七棟(国重文)を奉建、旧地より御遷座した。六代家宣は幕制をもって当社の祭礼を定め、正徳四年江戸全町を挙げて、俗に天下祭りと呼ばれる壮大な祭礼を執行した。

 

 

 

 

 

 

現存する大神輿三基は、このとき家宣が奉納したもので、江戸城内に担ぎこまれ将軍の拝礼を受けた。以来本祭りの年には三基の内一基が交代で渡御して来たが、御遷座より今年ちょうど三〇〇年を迎えて、往時の祭りを再現すべく神輿三基を総修理、九月十七日四区域合計六〇〇人の氏子が古式装束をまとって奉昇、仔列を整え揃って氏子中を巡行する。行列の先頭には明治以降東京では珍しくなった江戸型の山車が修理されて、七十年ぶりに曳かれる。上には神社ゆかりの猿田彦のからくり人形が載る。

 

地方出身の友達に東京の感想を聞くと、

人が多い、空気が汚い、水がおいしくない、東京の人は冷たい・・・・・・

あまりいい話を聞きません。

排ガス規制がされ、金町の浄水場の設備が変っても、前者はなかなか否定できませんが、最後の『東京の人は冷たい』には私の知っている東京は東京ではないのか?とも思います。そんな感想を持っている方には下町散歩をお勧めします。銀座やお台場、六本木とは一味違った東京に逢えると思います。

次回は、長崎支店 バンザイ白石課長です。