アイティーシー株式会社 東京支店の石田友裕でございます。この栄えある徒然なるままに・・・の投稿者に指名していただきありがとうございました。

私は昭和63年4月にアイティーアイに入社いたしました。

最初の2年間は長崎で透析を担当していました。それから東京・アイティーシーに転勤させていただきまして早や20年が経とうとしています。東京弁も完璧に使いこなしすっかりチャッキ・チャキの江戸っ子になりきっていますが未だに『どこの出身ですか?』『九州ですか?』などという質問を頻繁に受けます。なぜ???

 

それはさておき、今から5年前の38歳の夏、クモ膜下出血で倒れ救急車で病院に運ばれました。ドクターからは『助かる可能性は30%です。』なんて、いわば死の宣告を言い渡され、一か八かの開頭手術を受けました。

その当時を振り返ってみると、私はお酒が大好きで毎日浴びるように(日本酒ならつまみ無しで軽~く一升は・・)飲み、朝からはジムに行き体に残ったお酒を抜くためにバーベルを上げて汗を流し、タバコは多い時で2~3箱吸い、徹夜での麻雀や土・日も競馬をし、それこそ寝る間も惜しんで仕事に遊びに明け暮れていました。当時仕事的にも順調でしたし、体力が人並み以上あることに過剰な自信を持ち、無理する事、無理できる事にカッコ良さを感じていたりもしていました。【順風満帆である事に浮かれていたのも事実あったと思います。

傲慢な自信家がその死の宣告を受け天国に行きかけていた時、『修行が足らん!』と天国の神様から地獄ではなく地上に叩き落されたのです。

手術も大成功し五体満足に後遺症もなく社会復帰できたのですが、それは波乱万丈の人生の始まりでした。これがまた修行(辛い・きつい・悲しい・苦しいを解決していく事)する事が多くて多くて・・・。

クモ膜下出血とは私にとって修行する場を与えてくれると共に、どんな時でも『お陰様で生きています。』を素直に感じる事と何事にも『感謝する。』という大事な事を教えてくれた大変ありがたい?痛い痛い病気でした。

それからは九州に行く機会があるごとにお墓参りはするようにしていますし、神社に参拝するようになりました。数々の神社に行きましたが、それぞれに歴史があり素敵なエピソードがあるんです。神社は参拝し祈願するだけでなくその歴史を知る事で心が豊かにもなれる場所なんですよ。私が参拝しました中での2つの神社を簡単にご紹介したいと思います。

 

武蔵御嶽神社・・・東京都青梅市御岳山(標高:929m)にある神社。第10代崇神天皇の時代(紀元前90年)に創建され、古くから関東の霊山として信仰されているんです。鎌倉時代から江戸時代までの武将達からも信仰が厚く天正18年(1590年)徳川家康の命により南向きにあった社殿が西の護りとして東向きに改修されたそうです。

御祭神:櫛麻智命 大己貴命 小彦名命 日本武尊 廣國押武金日命

ケーブルカーもあるんですが自分の脚で登山して参拝してきました。たかだか900mくらいの山ですがきついのなんの。遭難するかと思った・・・。(参考までに長崎の稲佐山は333m。)ここでは、いくらきつかろうと道のりが長かろうと引き返すことなく到達するためにゆっくりゆっくりの一歩一歩!きつい・つらいがあったからこそ到達した時の感じられる大きな喜びと達成感を得られました。途中で疲れた時には休む事も必要で登山道の途中途中にある【馬の立て場:休憩場】で何度も休みました。

 

 

 

鶴岡八幡宮・・・神奈川県鎌倉市にある神社。源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりで、源頼朝公が源氏再興の旗揚げをして治承4年(1180年)に現在の鎌倉に創建。

御祭神:応神天皇 比売神 神功皇后

左に見えるご神木の大銀杏(樹齢1000年)は「隠れ銀杏」とも言われており1219年鎌倉幕府最後の将軍・三代源実朝がこの木に隠れていた公暁に暗殺されたという伝説があります。

 

その他にも歴史の話はいろいろあるのですが素敵なお話を一つ。源頼朝公の奥様は北条時政の娘・政子さまですね。源と北条ですから敵軍の娘です。すなはち最初は《お忍びの恋》だったんですよ。頼朝公は政子さまが忍んで会いに来る時の危険から守る為と安産を祈って政子さま専用道路の一段高い歩道を作ってあげたんですって。それが【段葛】なんです。

頼朝からの政子さまへ愛の形として精一杯の贈り物【段葛】

戦国時代の熱愛だったんですね。素敵なお話です。ちなみに頼朝が病に倒れた後、政子さまは出家なされたんですよ。

 

さて、最後に、私が『どこの出身ですか?』と質問される理由ですが、本物の江戸っ子に確認しました。私のイントネーションが東京ではないそうです。今後も、どこにいようとも九州男児の誇りとこのイントネーションを持って修行しつつも強く・楽しく後悔の無いよう精一杯生きて行こうと思っています。

ありがとうございました。。  次は 沖縄支店 津波君です。

 

 

森田部長よりバトンを受けた本社の豊島です。行って来ました海きらら!

私の休日といえば、もっぱら家族サービス。(日頃何もしないので・・・)

土・日はいつも家族全員でどこかへいっています。なるべくお金のかからない
公園やドライブなど。

ゴールデンウィークには特にどこも連れて行ってなかった為、シルバーウィーク

にはどこかにと考えていたが、末っ子の幸香が発熱の為動けず、最終日にやっと
長崎県佐世保市にある九十九島水族館・海きららへ連れて行くことができた。
リニューアルする前に二度程行ったことがあるが、あまりパッとしなかったので
今回もそれほど期待はしていなかったが、行ってビックリ!駐車場に入るまで
待つこと30分。すごい渋滞で待っている間に子供達は飽きてきて喧嘩をする始末。
ようやく到着! 機嫌を直してはいポーズ!!

ちょっと高めの入場料を払いさっそく中へ。

そこは思ってたイメージとは違い癒しの空間が続く。

 

 

 

 

 

 

            【顔ではありません】

 

 

 

ノーベル化学賞の下村教授のくらげコーナーがありました。

神秘的でとても癒されました。

 

 

これが受賞のきっかけとなったおわんクラゲです。

 

最後になりますが、今回リニューアルして最大の目玉が3頭のイルカショーです。

上からも下からも見ることが出来ます。

 

まだ調教途中という事で芸の数は少なかったがなかなか楽しめましたよ。

ニーハ、リリー、ナミの今後の活躍に期待!

我が家の3姉妹(彩加、絵理、幸香)の今後にももっと期待!!

これからもいろんな所に連れて行こうと思う今日この頃です。

次回は私の従兄弟、東京の石田支店長です。

画像診断部の森田です。

1970年代最後の年(大學4年生)に、アメリカ西海岸をレンタカーで旅した時のエピソードを

思い出しながら、つれずれに書いてみたいと思います。
 【愛を熱唱する私】 【幼少期の私】

勿論、海外を1人旅するのは初めての経験で、しかも車で広大な70’Sアメリカ大陸をこの目で観たかったのです。

①アメリカ到着、初日のハプニング

8時間のフライトと時差ぼけ。LA空港でレンタカー(トヨタセリカリフトバック)を借りた。20歳で免許を取り、殆どペーパードライバーの私は、オートマ車(新車)で左ハンドル、右側通行、今で言うカーナビも無く、いきなり、車のKEYと1枚のロードマップを渡され、”Have a nicetrip” 唖然!Hollywood目指し、フリーウェイを寝不足ながら3時間位運転したその時、車線変更に失敗し交通事故を起こす!Oh my GOD!完璧に私が悪く、”I’m sorry”の連発で相手方に謝罪。エリッククラプトンに似た髭顔のその人(ペンキ屋さん風)は、私の目をじっと見つめ、お前の車か?と聞かれ、カタコトの英語で、レンタ車、アメリカ初日、疲れ等説明した。もう私の旅が終わると思ったら、彼は、”OK、I Understood、take care your drive、Have a nice Trip”と言って私の肩を叩き、ニコッと笑い、その場を去って行った。何度も何度も頭をさげ続けた。

やっと目的地Hollywoodへ着いたのは、日が沈みかける頃でした。

 【七五三】

 

その日の宿探しより、コンサートが観たく、HollywoodBallへ。レーザーコンサートが予定されていたが、あいにく、Sold out。

諦めて帰ろうとしてたその時、2人の男性が、”良かったら、チケットがあるから一緒に観ないか”
と薦められついて行った。結局その日は、彼らの家に泊めてもらう。2人の男性は、1人が、
MR.Lee(横浜で2年程英語を教えてた教師)と日系人の原田さんで、夕食は、私の為に
日本食を作ってくれた。夕食を共に、交通事故をした事や、70`Sのアメリカ映画と音楽を
この目で見たくて来た事、日本と言う国、日本文化を外から見てみたい等、素晴らしい夕食
の一時でした。MR.Leeは、”You are LuckyMan” LA(ロサンジェルス)は最近物騒だから、気をつ
けるよう、良い旅ができますようにと、朝食を頂き、2人と別れた。

 

②ナッツベリーファーム(巨大遊園地)では、世界共通語

ディズニーランドも行ったが、何故か私は、こちらのすごい乗り物が印象に残ってます。Rip Tideと言って、地上20m強の高さから、いきなり後方へ落下!(ビビリマス)全く前が見えない落下程、恐ろしい事はない。乗り物から降りた時の第一声は、”Waoo!”と言う全員が、共通語で共にスリルを味わった。

 

 

 【中学生の頃(右端)】

 

③LA近郊のモーテルと安い映画館で心臓バクバク!

運転にも慣れ、夕方チエックインした。周囲の雰囲気があまり良くないと感じてはいた。BurgerKingで、チーズバーガーとコーラを買った。アメリカの印象は、”あらゆるものが、でかい!”と思った。シャワーを浴び、172cm、65kgの我が肉体を鏡に写し、ボディビルのポーズで、俺は日本人だ、小さいが、日本人魂は負けないぞ!と力瘤を大きくしてるその時、外で女性の悲鳴、パーン、パーンと、
聞きなれない音(銃声)。窓から見ると黒人2人が、撃ち合いを!心臓がバクバクした。とんでもない所に来た、MR.Leeが言ってたとおりだ。怖い。早く寝ようとBEDへ。どれ位眠ったか定かでないが、部屋のドアを、”コンコン” 3回ノックされた。私は、息を潜め、心臓バクバク状態で朝まで起きていた。

2ドル50セントのオールナイト映画館へ入った。ポルノでなく普通の映画6本立て。ただ館内は、異様な臭いがした。何年も風呂に入って無い汗臭い異臭。目が慣れて周囲を見ると、そこは、浮浪者のたまり場ときずく。すぐさま老人が、寄って来て、”Give me Quota”しかたなく25セントやるとまたやって来てた。”Im Break”と言うとポケットから、ナイフらしき物を取り出そうとしたその時肘蹴りで、急いで逃げた。出口迄、心臓バクバク状態で、2回程転び、映画鑑賞どころでは無かった。

 

 【高校生の頃(後列右から二人目)】

 

④ヨセミテ国立公園でのまさかの野宿

アメリカへ来て2週間程経った。好きなレコードの収集や映画もそこそこ鑑賞。そこで、シエラネバダ山脈近くの大自然を見たく、ヨセミテ国立公園へ向かった。午後3時位には、公園近郊の宿泊先を見つけるつもりであった。が、公園登り口で、ガソリンを入れた。愛想の良いお婆ちゃんが、入れてくれた。山の中腹付近で、カソリンメーターが異常に下がり、窓を開けると、ガソリンの臭いがするのに
気ずいた。やばい!もしかして!予想は、見事的中していた。ガソリンキャップを閉め忘れて来たのだ。急いで、元の所へ2時間かけ、キャップは無事保管してあった。が、山の頂上付近に着く頃は、すでに、暗くなり,車のライトと月のあかりを頼りに、湖の辺で野宿する事を決意。静寂とはこういう事を言うのか、食べる物も何も無く、標識には、熊や狼、鹿等注意のマーク!夏なのにやたら寒く、車の暖房をHiにして眠ったが、中々寝付けない。周囲に足音がした様に思えたが兎に角眠ろうと努力したが殆ど眠れず。夜明けと共に、車から出ると、何と!巨大な足跡や小さい3つ足跡が車から、湖へ向かってた。周囲に注意を払いながら、湖で水を飲み、顔を洗った。恐怖であったが、何故か、水が美味しく、BurgerKingのチーズバーガーが、無性に食べたくなった。

 

⑤貧富の差

アメリカ/サンディエゴから、メキシコの玄関口ティファナ(国境街)へ向かった。国境を越えた瞬間から道路標識が、マイルからKm。アスファルト道路から、デコボコ道。数千キロをかけてアメリカへ侵入するメキシコ人があとをたたないそうである。メキシコからの出国の際、凄い車渋滞で、メキシコの子供達が、物乞いや、自分達が作ったみやげ物を車を囲んで群がってくる。ビックリ仰天である。一歩離れた所で寂しそうに人形を抱えた少女を呼び、3ドル渡した。大きな綺麗な瞳と真っ白い歯が、印象的で、その少女は、国境を出る迄、ずっと私の車の後を着いてきた。余程嬉しかったのだろう。サンディエゴへ向かいながら、何か熱いものがこみ上げて来た。

 

  【大学生の頃】

 

 

旅は出逢いと別れ!

ここに記された事は、すべて事実であり、自分ながらよく無事に生きて帰れたなああ~と思います。若さ(肉体と心)は、特権であり、純粋な気持ちで、一人旅を経験しました。アメリカは、確かに”でかい”車社会のあのFreewayの凄さ!でも日本には、五重の塔、金閣寺の緻密で繊細な奥ゆかしい物がある。1国家多民族のアメリカ、1国家1民族の日本を色々な角度で診る事ができたと思う。また、好きな音楽レコード映画も沢山観た。(お薦め写真参照)ここには書けない事も沢山経験した。もう一度、必ずアメリカへ行く!それだけを考えながら帰国した。それから3年後夢は、実現した。

子供達へ”何の為にこの世へ生まれて来たの?”と聞くと、首をかしげ返答がない。”人を幸福にする為、自分が幸福になる為であり、自分が不幸だと人を絶対幸福にはできない。人を幸福にする事が、自分が幸福になる事に繋がる”また、”幸福”は、他人が決めるものではないし、自分が、そう思い感じる事!”が私の自論なのです。旅は、出逢いと別れ、すなわち人生そのものだと、年を取る度にその想いが強くなるのは、私だけなのでしょうか??

                                                 【旅で出逢った超韓国美人のパクさん】

 

 【お薦め音楽】

 ジェシコリン・ヤング    キャロル・キング

【お薦め映画】

天国から来たチャンピオン      スケアクロウ

 

 

 

明け方近く、母親が私の名前を呼ぶ声がして、ふっと目が覚めた。
しばらく外の様子を伺っていたのだが、なんの変化もない。時計に目をやると朝の四時を指している。
暗闇のなかで、以前も全く同じような状況で、同じような母親の声を聞いたことをふと思い出した。

夜中に、母親が私の名前を呼ぶ声で目が覚めたことがある。

両親と隣同士で住んでいるのだが、夜中に体調が悪くなった母が私が寝ている部屋の外から、申し
分けなさそうに私を呼んでいる。何事だろうかと床から起き上がり話を聞いてみると、お腹が痛くて
我慢が出来ないという。

母は以前、腸の病気で長く入院したことがあったのだが、また再発した可能性があるという。痛みで

満足に歩くことも出来ない母を、車に乗せて救急病院まで走ったという、そんなことがあった。

その時のことが走馬灯のように思い出される、たしかに母の声であったと思ったのだが、それからしばらくしても何の動きもない。自分の気のせいだったのか、なにやら納得がいかない朝の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【自宅の裏庭はゴーヤのトンネルです】 

 

その日の朝、妻と二人で墓参りに行った。

道すがら、明け方の出来事について妻に話すと「それはきっと、お母さんが戸石の墓にお参りに行きたいからじゃないかしら?」と妻の返事が返ってきた。

東長崎の戸石には、母の両親(私にとっては祖父母)が眠っているのだが、自宅から距離もあり、また

バスを乗り換えたりなど、年寄りには何しろ大変な場所にある。私も,都合が合えば車に母を乗せ
てお墓参りに行ったりすることもあるのだが、母のほうも私に気を使って遠慮しているようで、黙って一人で行っていることが多いようなのだ。

「ひょっとしたら、そうかもしれないね。」

妻の話を聞いて、私もそんな気がしてきた。
墓参りも終わって、自宅に戻ってきた私たちは、もしやと思い両親の家へ立ち寄ってみることにした。

  【裏庭のホテイ草の花です】

 

 

 

 【玄関にある睡蓮も咲きました】

 

 

 

 

 

 

玄関に出てきた父から、母が今朝から戸石に墓参り行っていることを聞かされた。

不思議な気持ちがしたのと同時に、なんだか後悔がのこる、そんなお彼岸での出来事でした。