アイティーシー東関東支店の仲唐さんからバトンを受けました理化学の斎藤です。季節柄、ヨットの話にしました。アウトドアスポーツ人口が減ってきているので、少しでもヨット好きが増えればいいなと思っています。私の学生時代は海の格闘技と呼ばれるようなレースが主体でした。社会人になってからは楽しくクルージング、セーリングです。写真は穏やかな日、梅雨の合間の一コマです。

猪苗代湖でヨットを始め、大学で体育会ヨット部に入りました。合宿所は相模湾の葉山と荒崎でしたが戸塚ヨットスクールならぬしごきの世界でした。理不尽と思える特訓は強烈で、勉強するために大学に入ったのに、それを忘れるぐらい新鮮でした。部員が相手の足を押さえているだけで、二十メートルの高さの断崖の上の手すりパイプから恐る恐る尻を空中にせり出すのですが、心臓はバクバクで、無我夢中で腹筋を300回、恐怖心と体力の限界と戦うトレーニングでした。そうしたお互いが命を預ける訓練で、レース中はスキッパーとクルーのペアが息の合ったチームとなれるのです。訓練で手に入れた筋肉で骨を包み、荒天での度重なる打撲傷を和らげる事が出来ました。そうして、自然の猛威から命を守る為に自分の体力が必要なことを体得していきました。夜はレースや遭難のケーススタディ、艤装品の修理点検で、寝るときはバタンキュウでした。夜逃げする仲間もいたのですが、一回2週間ぐらい続く合宿は女子学生も男子と変わらずトレーニングしています。合宿所の自炊生活は実にむさくるしいものです。身ぎれいにして合宿所から都心の大学の授業に向かう時も、街の楽しい誘惑はいっぱいで合宿所に戻らない脱走者も出ました。その気持ちはわかる気がしました。

こんな風に始まったセーリングも45年続いていて、今も時々潮風を吸ってはリラックスしています。

社会人になって28か29歳ごろの事ですが、今は亡くなった先輩の一人の義父がマリーナの社長だったおかげで、空きがないのにマリーナに入会させてもらいました。結果的にもぐりこませてもらったようなものです。こうして同じ学科でヨット部から国体選手になった先輩をキャプテンとして、三浦半島の南端の『シーボニアマリーナ』をベースに、セーリングクルザー『ホリデー』号(25フィート・ブルーウォーター)で遊び始めました。その後、27フィート(8.2メートル)の『ダズ』号に乗り換えて、友人や弟も加わり今は6名です。元英国首相のチャーチルが船主だった60フィート(18メートル)の豪華キャビンを持つ『シナーラ』号も係留しています。かつてはメンバーの家族招待があり、何回か操縦させてもらいました。経済の高度成長期は船が増えて置き場は拡張になったのですが、景気後退後は閑散としています。今のヨットはフランス人設計のソレイユ ルボンで船検、修理を繰り返し20年以上乗り続けています。維持費はマリーナの年間契約料以外に3年ごとの船検代、修理、部品交換代等で馬鹿にならないのですが、みんなで頑張って維持しています。マリーナの経営会社は変わって、今は『リビエラリゾート』です。ハーバーで結婚式も行われていますので、海が好きな方は利用してみてはどうでしょうか。写真は対岸の別荘群、浮かんでいるのは錆の出たキール(船の下の横流れ防止用のおもり板)を最近になってやっと修理しお化粧してあげたわれらの愛艇です。

毎年、夏休みは伊豆諸島(大島、式根島、神津島、三宅島)や伊豆半島を廻っています。黒潮と南風を切り裂いてタック(方向転換)しながら南下していきます。何もない海上を走っているときイルカやトビウオに出会うと親しみを感じ癒されます。イルカは100頭近い大群でヨットに近づいて来ますが一頭一頭がうまくよけてくれます。隠れるところがないヨットの上では太陽に焼かれて燻製になりそうです。皮膚が太陽でやけどして病院に行ったこともあります。逆に荒れた日は波が高くてヨットのマストのてっぺんが隠れるほど波に翻弄されます。マストを支えるいくつものハリヤード(鋼線)がヒューヒューと鳴き声を出します。横殴りの風雨でまるで視界がない時は、コンパス(磁石)とラジコンを頼りに潮の強さと風向きから現在地を割出し、針路を判断していました。今のようにGPSがあれば良かったのですが。船酔いを通り越して、ほかの仲間は胃には何も残っていないのに、私は鈍いのか、体力を維持する食欲は失わないので、鉄の胃と呼ばれて不思議がられています。ウイスキーを口にしては、ずぶ濡れの体温を維持しました。真っ白な世界で7、80メートル先に突然、大型貨物船が現れたり、流れる材木に体当たりしたり、極度の緊張は荒天が去るまで一日続くこともありました。ある時、追いかけられる台風から逃れようと北上したのですが、ヨットの速度が遅く真っ暗な夜中に命からがらで大島波浮港に入港したこともありました。その時は知り合いの島の漁師の方々や海上保安庁には多大な心配をかけました。また大島に南下する時、島の東側は三原山の吹き降ろしが強く、強い海流が混じり合い三角波が立ちやすい海面です。そこで方向性を失うほどもまれ続け、絶え間なく飛び込む海水を浴びながら、3時間格闘しました。その時は命の境目を見たようでした。海の神ネプチューンに自分を捧げる気持ちになりました。その時は家族が瞼に浮かび、今まで好きなことをさせてくれてありがとうと感謝していました。波をかぶり続けて冷えきった体で格闘しているのに、一瞬安定感を取り戻すと、疲労で自然に眠くなります。恐怖心は消えて心は穏やかになっていくような不思議な感覚になったことを覚えています。海難も冬山の遭難に似ているのではないでしょうか。それは人に迷惑となる大恥であり、経験が少ないのに体力に対する慢心から来る馬鹿気の至りでした。思えば当時は身勝手なものでした。小さな生命体である人間は当然、自然の猛威に逆らっては生きていけません。最近は休暇日数や体力も考えて大島までにしています。

うれしいこともたくさんあって、荒天でもがいている海上で、偶然出会った漁師のアドバイスや親切に助けられたことは忘れられません。年老いた島の宿の親父に誘われて、夜明け前に出港して漁の手伝いをしたこともあります。島の漁師からは海と折り合いをつけていくことや、海に対する畏敬の念を教えられました。荒天の出帆時にその真っ黒に光る島の親父が、気を付けろよ、無理するな、着いたら電話くれよと見送ってくれるときは胸がぐっと来たことも覚えています。私の大学時代は粛清やゲバを繰り返す学生運動の時代でした。そんな時代にそれまでは接したことがない老漁師の親切や寛容さ、熟練のすごさが若かった心に響きました。また、島の漆黒の闇の中で堤防に寝転がって観る夜空は感動的でした。満天星のきらめき、数分おきの流れ星、ゆっくりと移動する人工衛星などには宇宙の深さや広さ、神秘を思い知らされ、興奮しました。航海の最後に、南から黒潮に乗って北上する時、ラジオの電波が入り始めると東京の渋滞情報が聞こえます。日常に戻りたくなくて、みんなの顔が沈んできます。

サンデークルージングはその日の天気図と風と波の状態を見て出帆を決めます。都内は静かでも海上では風と波が強いことがあります。その時はセーリングをあきらめて掃除をして帰ります。安全第一。今となっては、写真のような好々爺をやっています。孫と乗れるとは夢にも思わなかったし、15年くらい前からは7つ若い弟が船上の肉体作業をしてくれることになり、感謝しています。女性軍は紫外線に弱いらしく、最近は来なくなってしまいました。

不思議な縁を一つ、同じ理化学の佐藤さんがオフィスの机も隣なら、ヨットでも私たちの隣のヨットのクルーをやっているとは、まさにスモールワールドです。一緒に乗った事がありますが、彼は鍛えた筋力で素早いロープワークをこなし、レースで活躍しています。

少し、話題を変えて、サッカーのワールドカップならぬヨットの4年に一回の歴史ある国際レース『アメリカスカップ』にちなむ話です。近代オリンピックより古いレースです。忘れがたい思い出ですが、サンフランシスコ駐在時代に2000年シドニーオリンピックのヨットのアメリカチームの壮行会が湾の北側にある『サンフランシスコヨットクラブ』であり、招待されて出席した時のことです。1992年『アメリカスカップ』に『ニッポンチャレンジ』チームが初めてチャレンジしてから3回目の2000年の頃でした。個人的に『ニッポンチャレンジ』に寄付をして応援していましたので、オーストラリア沖のレースを、サンフランシスコでPCの動画中継にくぎ付けになりながらハラハラして観ていました。そんなこともあり『アメリカスカップ』直後のオリンピック壮行会ではアメリカ選手へ激励の言葉をかけたり握手する時は複雑な気持ちでした。自分はどっちを応援しているのかわかりませんでした。さらにうれしいこともありました。クラブのコモドア(海軍提督と呼ぶ経営支配人)に案内された部屋である日本人を称賛してもらったのです。それは52年前の1962年、太平洋をたった19フィート(5.8メートル)の小さなヨットで渡った堀江謙一さんです。今もその『マーメード号』は現地の海事博物館に展示してあります。堀江さんが持参したという薄汚れた小さなペナントを指差しながら、その勇気をたたえると、何回も素晴らしいと繰り返していました。私も日本人に誇りを感じたものです。ついでにサンフランシスコヨットクラブのペナントにコモドアがサインしてくださって、今も自宅に飾っています。クラブメンバーのギリシャ人のヨットに遊びに行くたびに、その地域に住む日本人達を呼んでくれて、その時の日本人同士で話す日本語のニュアンスは楽しいものでした。湾側の野球場の北側の桟橋群の中に『ランデブー』という80フィートのヨットがあり、現地社員や日本人の友人を招待して、何回かチャーターしました。出入りに動力を使うとき、日本発行の小型船舶一級免許で世界に通用しました。安全な日には1メートル以上ある舵輪を回す醍醐味も味わいました。ゴールデンゲートブリッジの下からアルカトラス島の周りは潮と風がとても速いことで有名です。空は真っ青に晴れていても、大粒の霧がバシバシ降りかかる日もあり、しぶきや波がかかることがほとんどで、静かな日はありませんでした。

そんな頃、アメリカ人の女性クルーだけのシンジケート(チーム)があり、そのベースキャンプが湾の何番目かの桟橋にあって、自分は『ニッポンチャレンジ』チームを応援しながらも、週末になると訪問し記念グッズを買っては応援していました。そのチームはたくましい女性達がそろっていて、訓練を重ねていたにも関わらず、チャレンジ艇を決めるレースで敗退してしまいました。出場するシンジゲートは、一回に20億円から100億円かかるため、『ニッポンチャレンジ』はスポンサー資金が続かず、4回目以降は挑戦できていません。日本人では初めての世界に通用する外洋レースの名スキッパーである難波誠さんは1992年と1995年の2回、『ニッポンチャレンジ』を引っ張った人ですが、1997年4月23日、沖縄からの外洋レース『SAIL OSAKA』出場中に荒天にあい和歌山沖で落水して消息を絶ちました。ユーモアがある大きな人で雲の上の憧れの人でした。その後の人材不足も大きく影響しています。次の35回『アメリカスカップ』決勝戦は2017年の9月、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの南側にある『ゴールデンゲートヨットクラブ』がデフェンダーで、現地で行われます。見に行きたいと楽しみにしています。NHK-BSでも放送すると思います。今は双胴艇(カタマラン)が主流で国家の威信をかけた最先端技術を駆使しないと勝てなくなりました。実際に海面を猛スピードで飛んでいるそうです。ニュージーランドが初めてアメリカからカップを奪取した時もそうですが、現地の海に合わせた流体力学や材料学などの技術戦の歴史です。もともと1851年ロンドン博覧会のときイギリスではじまったレースですが、招待されたアメリカが科学技術に勝りカップを持ち帰ったために、それ以来『アメリカスカップ』と呼ばれています。挑戦シリーズ(予選)は前年から始まり『ルイヴィトンカップ』と呼ばれ、スポンサー名がついています。

 

『仕事の達人』『遊びの達人』『人生の達人』のように思う存分チャレンジして、楽しんで、後悔しないように、我が社の『社員三訓』を目指したいと思っています。仕事も忍耐強く限界まで挑戦すれば、目標を達成するに違いないと信じつつ、終わりにします。長々とお付き合いくださいまして有難うございました。

 

こんにちは。

鹿児島支店の棚卸番長・和田さんから”徒然なるままに”ご指名を頂きました、『歩く神経質』、アイティーシー㈱東関東支店の仲唐です。

さて、もともと学生時代から多少写真を趣味にしており、こっちに来たらいろいろと足を運べるかなぁと思いつつ・・・

すでに4年ほどが経過致しました。

        【今日も空が暗い・・・そして広い。】

 

なんだろう、奮起しなければ全く外に出なくてもなんとかなってしまう今日この頃・・・。

引きこもりも素敵だけど、とりあえず外に出てみるか。

ということで、久しぶりにリハビリがてらカメラ片手に、

ショッピングに出かけました!

(※正直、写真はどうでも良かったんですがね。)

 

もともと僕は小綺麗な雰囲気が好きで、家もモデルハウスのように生活感のない感じにしてみたり、むやみやたらにインテリア小物を増やしてみたりするのが大好きです。自宅ももし賃貸物件じゃなかったら、きっと壁という壁にフォトフレームやら絵やらが貼り付けられていたかも知れません。穴開けたら怒られますからね。

 

そんな僕が都内でも一番好きな場所、それが丸の内です。

桜庭ななみの『三菱地所を、見に行こう。』でお馴染みのこの場所は、

 

それはもう街全体が大人な感じっ!!

 

・・・思い起こせば東関東支店に配属を言い渡され、まるでドラマの舞台になるようなビジネス街を想像し(赤坂みたいな)、胸トキメかせながら初めてこの地に降り立ったあの日。

 

・・・高崎線で宮原を通過した辺りから、車窓の外に広がる景色に”ん?”と思ったあの日。

 

・・・沖縄以上に「空が広い・・・」と感じたあの日。

 

・・・あの日・・・あの日(怒)

 

市川誠一郎社長に「仲唐くん、首都圏と関東圏は大きく違うよ!」と言われた最終面接の時を鮮明に思い出すような衝撃を受けたことをよく覚えています。

 

 

とりあえず話を戻して、行けたところだけ。

           【丸の内オアゾ】

丸善・丸の内本店のビルです!いろんなビジネス書籍も揃っているし、文具も多くてすごく楽しいところです。ひとりだとふつうに半日つぶせます。大抵ひとりですけどね。最近はここで特にすぐには読みもしないであろう一目惚れビジネス書籍を買って帰るのが給料日後のささやかな楽しみになっています。

 

      【丸の内ビル・新丸の内ビル】

お洒落なテナント盛りだくさんの丸ビル!なんか店内を歩き回るだけで都会人になった気分になってきます。ここに来たら必ず帰りにはサイフの中から諭吉さんが消えているという、ね。インテリア好きな僕にとってTHE CONRAN SHOPは何度行っても飽きないテナントのひとつです。□THE CONRAN SHOP (http://www.conran.co.jp/)□

 

            【東京駅ステーションホテル】

2012年に復元が完成した、東京駅。とにかく人が湧きました。素敵です!この一帯の街並みがあまりに都会的で、駅から降り立つたびにテンションが上がります↑↑

(※ここまで撮って完全に陽が落ちてしまったので、肝心な三菱一号館美術館が撮れませんでした。)

 

         【三菱一号館美術館(※イメージです。)】

 

 

その他にも三菱地所には、池袋の”サンシャインシティ”や横浜の”ランドマークプラザ”、佐野や御殿場の”プレミアム・アウトレット”などがあります!いずれ全部回りたいなぁ。

あと捕捉でお気に入りのインテリアショップと素敵スポットを紹介します!

□maturite(http://www.maturite.jp/)□

□KEYUKA(http://www.keyuca.com/)□

□Francfranc(http://www.francfranc.com/shop/default.aspx)□

□2k540 AKI-OKA ARTISAN(http://www.jrtk.jp/2k540/)□

結構楽しめると思うので、”つれづれ”な方は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか。 

 

 

関東に来たら、毎日が華やかで お洒落な食事 お高い酒 を程よく嗜みながら、大人の階段をスマートに上っていけるもんだと思っていましたが・・・、

                                 (※イメージです。)

                                                       (※リアルです。)

 

実際、こんな感じの毎日です。問題です。それはそれは健康診断の結果だって、

A → B → C3 (2014年2月現在)

とかになりますよ。来年には とか になってるんじゃないか心配です。そしてそんなことを言いつつも、いつも隣に載せてるのは・・・、

       【☆いつもアナタのそばにいさせてね☆の図】

 

ホントに早く何とかしないとマズイ食生活・・・。ホント何とかしないと・・・。

そんなこんなで毎日一生懸命頑張ってるよ!お父さん、お母さん!

         そして今日も空が暗い・・・やっぱり広い。

おわりです。

※次回は僕のビジネス御師匠こと、アイティーシー㈱東京支店、理化学事業部・斉藤部長にバトンをお渡し致します。どうぞ、よろしくお願い致します!

まさかのITC東京支店 西方様(山口余興隊長含む)のご指名により今回、“徒然なるままに…”を書かせていただく鹿児島支店 営業三課 和田大志です。宜しくお願いします。

少し悩んだ末、この一カ月で起きたことをお知らせします。『へ~。』、『でっ?』てな感じでサラーっと見て下さい。

5月10日(土) ヤフオクドーム なごみシート観戦

福岡ソフトバンクホークス VS 埼玉西武

この日はルーフオープンデーで心地よい風が吹く中での観戦となりました。試合は接戦の末 3-2でソフトバンクホークスの勝利!花火も見れビュッフェもおいしく最高の一日でした!!

※鹿児島支店、仁君情報によるとルーフを1回開閉するのにかかるコストは100万とのこと。(内訳)2割 電気代、8割 人件費  ←ホントかよ~。

 

 

 

5月25日(日) 鹿児島空港 サッカー日本代表お見送り

SAMURAI BLUE(サッカー日本代表)が鹿児島県指宿市にて5月21日~25日、合宿を行いました。

これは一目見なければ!とミーハーな嫁と鹿児島空港へ向かいました。

 

 

 

 

 

 

         【人、人、人】              【キャ~キャ~♪ うるさい】

      【いちばん左、本田。サングラスがお似合い】

写真のSAMURAI BLUEの皆さん、お疲れのご様子でした。が、後姿からして日本を背負っているオーラ?を発していました。

今回の『2014FIFA WORLD CUP 2014 BRAZIL』は是非とも予選通過しベスト16→準々決勝→準決勝→決勝→優勝と勝ち進んでほしいものです!(私の徒然が投稿された時は予選結果が出て、みんな寝不足なんだろうな~。)

ちなみに余談ですが私はずーっとサッカーをして来ました。今回、日本代表にも選出された遠藤選手とも同級生だけに幾度も死闘(笑)を繰り広げてきました。とくに注力して応援します。ついでに日本代表繋がりで、元日本代表の福西崇史氏とお会いする機会がありパシャリ☆

 

6月6日(金)  ☆一代の会☆(別名 のほほんの会) 

「IT J-1タイムズ VOL.22」にもありましたが鹿児島支店 部活紹介の中で、新規参入の部として活動開始しました一代の会(のほほんの会←命名 小波津氏)を紹介します。

活動方針:皆でお互いのことを褒めながら楽しく飲む!

活動内容:褒める!→飲む!→そして褒める! 

簡単に言えば楽しく、のほほんと、食べて飲むことをモットーにする会です。その第一回が最近開催されました。

※注意 ここからサッカー用語と組み合わせて行きます。

 

メンバー発表(ザック風に)

No.1  小波津 佐順      No.2  和田 大志    No.3  和田嫁

No.4  山野 耕嗣       No.5  北島 貴明      No.6  山田 武紀(ITC)

以上の6名にてキックオフしました。

まずは、私の選手宣誓(乾杯)に始まり、小波津さんのオフサイド(前に出過ぎ)があり、山野君のナイスセンタリング(いいアシスト)があり、北島君&山田君の同期ツートップで点を決める。 そして私の嫁(マネージャー)がみんなを癒すという流れが出来、最高の勝利を獲得しました!  第二回開催間近です。

皆さん鹿児島にいらっしゃった際は是非ご一緒に!

場所:天文館 『一代』 鹿児島市樋之口町10-40  TEL : 099-224-0751

 

 

といった内容がここ一カ月のわたしです。

一カ月間ですが、毎日を有意義に過ごせているな~と改めて思うと共に今後も、更に公私共に有意義にして行きます。

最後まで見て頂きありがとうございました。

次回は先日、鹿児島支店に出張で来て刺激を受けて帰って行った熱い男、アイティーシー・東関東支店の仲唐くん、宜しくお願いします。

 

入社3年目 アイティーシー東京支店 西方です。

千葉支店三宅課長。ご指名を頂き、ありがとうございます。

(しかし、なぜ三宅課長から・・・。と思っていたら・・・。E藤係長、影から推薦ありがとうございます!!)

 

早速ですが、東京のイベントを紹介したいと思います。

「東京の未来を灯す 奇跡の川 東京ホタル」

なんと隅田川がホタルで灯されるのです。

ホタルに見立てた約10万個の太陽光蓄電LED「いのり星」を隅田川に放流する壮大で幻想的な光のシンフォニー。

本物のホタルが隅田川に生息するのはまだまだ難しいですが、

もし、都市と自然が共存できる、東京になったら。隅田川にホタルがいたら。

というみんなの想いと願いをのせて「いのり星」を水面に放つというイベントです。

このいのり星は、LED、充電式電池、太陽光パネルが搭載されており、水面へ着水すると同時に通電し点灯するそうです。

初めてこのイベントが開催された2012年5月 行って参りました。

いのり星1個放流権もついた有料席(1000円~3000円)もあったようなのですが、

売り切れのため、付近の堤防で開業間近のスカイツリーを眺めながら待つこと数時間。

辺りが薄暗くなってきたところでいのり星が流れてきました。

 

私の周辺。

 

そんな中で撮った写真がこちらです。

隅田川の賑わいを次の世代に継承していくためにも、環境に配慮したイベントであり放流したいのり星は全て回収され、次年度の開催にリユースされるそうです。

ちなみに。2012年5月、2013年5月と開催されたこのイベントは、内容変更することになったため2014年の開催は見送られました。2015年の開催に期待大です!

最後に、公式HPの写真です。

次は、鹿児島支店の和田さんです。

東京支店Y係長とT君から鹿児島にイケメンがいると聞いてお願いした次第です!!!

これまで接点がなかったにも関わらず、私の依頼を快く引き受けて下さった内面までガチのイケメン!!感涙!

本当にありがとうございました。よろしくお願いします。

大村支店高比良さんよりバトンを受け継いだ、千葉支店営業1課三宅と申します。

元千葉営業所の先輩からの久々の電話は、徒然の依頼でした・・・(笑)。

 

徒然なるままに、先週末の出来事を書こうと思います。土曜日は高校時代の柔道部の仲間と、日帰り温泉に行きました。卒業して20年ですが、未だに付き合いは続いており、こうして年に2度ほどドライブ、忘年会等します。

この日は1歳8か月の息子を抱えたフルタイム勤務で共働きの妻に申請をあげて、私も出かけるのです。男の付き合いってやつですね。場所は房総半島で、ここはいつも好評です!是非千葉に来られたときはディズニーランドだけでなく、房総観光も視野に入れてください。すれてない、伊豆半島といった感じで海と山が綺麗で魚もおいしいです。今回は日帰りなので昼飯を2回と日帰り温泉という柔道部らしい企画にしました。

まずは1軒目のお店です。漁業組合がやっているばんやという食堂で、水揚げされた魚など種類が豊富です。なかにはなぜか北海道産などもありますが(笑)。このばんやでは、私は朝とれ寿司(¥850)を頼みました。あとみんなで魚のから揚げをシェア。雰囲気もあってうまかった!この辺のとんびはとても体が大きい気がします。きっと、えさとなる魚が豊富なんでしょう?

 

 

港の風景です。ここは、内房です。これから外房の、鴨川に向かいます!

 

 

さて、鴨川で2度目の昼食でまた魚を堪能しようという試みですが、さすがに何も観光ないのも男らしすぎるということで、千枚田という棚田に寄りました。2012年の国体では天皇皇后陛下も立ち寄られたようで、石碑がたっていました。写真では伝えきれませんが、鶯の声と一面の田んぼと緑に囲まれ、のどかで気持ちいい~空間でした。ガイドブックに小さく載っている程度ですが、千葉の隠れた名所と認定したいです!大山千枚田です。

 

 

鴨川といえば我々アイティーシーの1,2に入る大お得意様、亀田総合病院があります。

こんな大自然の中に日本有数の規模の病院を打ち建て、そしてどんどん知名度をあげていくのは、まさに逆転の発想なんでしょうか。今度どこかの局で特集を組んで欲しいものです。もうやってますか!?たしかカンブリア宮殿??

さて、鴨川に到着しました。昼食2軒目は控えめに焼き魚定食にしました。これだけのって、1,000円は安い!このあと海の見える展望温泉に行って、高速乗って帰りました。夜8時。かあちゃーん、ごめんなさいっというわけで息子と遊んで寝てもらいました。明日は徹底的に息子と遊ぶぞ!と誓った夜でした。

日曜日は前日の遊びを取り戻すべく、家族サービス、育児に没頭しました。とは言っても奥さんはご飯作ったりなんだかんだ偉大です。午前中はD51が置いてある公園に行きました。1歳前からきかんしゃトーマスや電車に夢中になった息子の為にです。喜んでましたねえ。滑り台もしました、ブランコもしました。

 

父になって意外だったのは、臆面もなく言わせていただきますとここまでかわいいかということでした。最初は男の子かあ、女の子がよかったなあ、なんて出産前は思っていた私ですが、出産後看護師さんから息子を渡され抱っこしたときから心は奪われ、今では会ってなくても2分のうち1分は息子を思い出しているという恋する中学生状態と言っても過言ではありません(笑)。皆さんそうだと思いますが、生活が一変しました。

物心ついた頃に、尊敬される父でありたいと思いますが、どうやったらなれるのでしょうかね!?一生懸命、やるだけです(笑)。その後ショッピングモールでお買いもの(ほとんど子供関係)して、帰宅。午後のお昼寝タイムが終わったら、息子と二人で別の公園へ行きました。

 

こうしてあっという間に夕方になり、週末は終わっていきました。明日からは朝5時40分に起きて保育園に連れて行ってから通勤という生活が始まりますが、何故か、なんとか幸せに前向きにやっております。さあ、月火水木金頑張ります!!