千葉営業所の小松です。今回のブログ担当です。

ITCに入社して5年が過ぎました。時の移り変わりの早さを感じずにはいられない、そんな毎日です。そんな中突然の御指名にとまどいながら、題名のごとく書き綴ってみようかと思います。

以前は週末のたびにどこかへふらっとドライブに出ていたのですが最近は昨年春の奥さんの交通事故とクルマの老朽化のためあまり遠出せずおとなしくしていたのですがGWにETC1000円の魅力に負けてやはり思い立って出かけてしまいました。それについてペンを走らせていただこうかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこれがわが愛車、なかなか乗りやすくてよく走ります。

とはいえ、21世紀と同時に納車されただけありもう9年乗っており走りに走って21万キロ越え!!ITCの営業車なみによく走っています。今回思いついてしまったのが以前より気になっていた新潟県村上市に塩引き鮭を見に行こう!でした。結構知る人ぞ知る渋い城下町です。

新潟の鮭は加島屋の鮭茶漬けなどでもおいしくて有名(私は幼少よりこれに目がなくて必ず冷蔵庫に1瓶はあります。)なのですが岩ガキも始まるはずなので楽しみに出かけました。ただ、いつも思いつき旅行なので5/3の夜中にネットで宿検索。5/4が山形県鶴岡、5/5が山形市内で無事予約完了。

スロースタートの小松夫妻は5/4 14:00出発。圏央道-常磐道-磐越道-日本海東北道というルートで渋滞もなく真っ赤な夕日の新潟の日本海に18:00過ぎに到着。いつもながら日本海に沈む夕日は美しいです。ちなみに予定通り高速代は1000円ぽっきり・・。村上市を過ぎる頃は夜になってしまったので取りあえず海岸線を北上して山形県鶴岡市を目指しました。21:00に無事ホテルチェックイン出来ました。映画の「おくりびと」と藤沢周平人気で鶴岡は結構元気ありまして翌朝気づいたのですが北に鳥海山、東に出羽三山、南に朝日連峰そして西は日本海というバツグンのロケーションにも恵まれていてとても雰囲気のある街です。

 

翌朝、絵ろうそくを買いつつ羽黒山へ。修験僧で有名な出羽三山ですがここはすっかり観光地という感じで人も多く賑わっています。月山には雪がまだ深く通行止めなのでしぶしぶこちらに来ると毎回寄ってしまう湯殿山へ移動。ここも雪が深く前回の写真ですがこんな感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御神体は撮影禁止でかつ雪があるのに裸足にならなければならないので大変です。でも今年の異常な暑さはここにも及んでいてまったく裸足が苦になりません。それもそのはず、気温27度、明らかに異常です。雪崩にならないか心配なくらいでした。そして寒河江のそば街道で冷やし肉そばというこちらの名物を食しつつ山形市内中心のホテルへ。明日は最終日で期待の村上鮭尽くし!!適当に夕飯を済ませ明日に備えることに・・・。

 

(それにしても地方のデパートの不況ぶりがよくニュースを賑わせますが、ここ山形もひどい状況です。駅前のデパートも2Fより上にはお客が一人しかいませんでした。郊外のショッピングモールにはクルマを多く見かけるので人や物の流れが完全に変わってしまっているのでしょう。我々の仕事も同じように以前のような仕事の流れではやっていけなくなっています。いずこも同じなんだと感じつつその変化に上手く対応しなければならないとも痛感しました。)

 

そして、5/6昼過ぎに村上へ。ただなんか街が小さい。その前に「笹川流れ」という景勝地を通ってきたのですが岩ガキの姿がなくしょげていたところに鮭の食事を食べさせてくれるところもなんか寂れた感が・・・・。とりあえず街を散策へ

塩引き鮭の有名店がここ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして塩引き鮭がこれ

 

 

 

 

 

 

 

 

いくつか買って近くの瀬波温泉で遅めの昼食を食べて夜11時ごろ帰宅・・・が、病院から緊急の呼び出しで結局帰宅は3時半。長い旅でした。

最後にお茶の話。九州はお茶がおいしくて私は取り寄せて飲んでるくらい大の鹿児島茶ファンです。ここ新潟県村上は実はお茶の栽培の北限らしく市内にお茶屋さんがいくつもあります。代表的なお店がここ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが飲んでみると鹿児島茶と同じ甘い味が・・。のどごしは九州の方が甘みが残る感じですが村上茶はのどごしはすっきり!夏向けの爽やかなお茶でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なかなか見かけることはないかと思いますが機会があれば是非飲んでみてください。

それでは、次は長崎支店のダッフィー田中さんお願いします。

 

今回「徒然なるままに・・」を担当させていただきますITCいきいきらいふ支援センターの門間です。

突然の指名に戸惑いながら何を書けばいいのか、迷いながら日時は過ぎてしまい原稿の締め切りが。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

気を取り直して、書くことにしました。

私は長崎県生まれで、山と海にかまれた自然のなかで育ちました。11歳の時に、父の仕事の都合で埼玉に移り、何十年か過ぎてしまいました。移り住んだときは、周りを見れば家と畑の環境の違いや言葉のアクセントの違いで、泣いたこともあったことを今はなつかしく感じています。

そろそろ、私が住んでいる「さいたま市」の観光案内をさせていただきます。さいたま市は、旧浦和市・与野市・大宮市・岩槻市の合併によってできた政令市ですが、観光は交通の便がいい鉄道のまち大宮が中心になります。

 

{大宮盆栽村}

 外国人の見学コースにもなっている我が国屈指の盆栽郷として知られており、四季折々の樹影は訪れるひとの心を楽しませてくれます。盆栽は、時間と空間と山水の景を表現し自然にある姿以上の美しさを求めていく日本の伝統的な芸術であるといわれています。そこには四季の移り変わりに対する豊かな感性と生命に対する心の優しさや美的感覚が凝縮されています。長い歴史を育んできた盆栽は海外でも高い評価をうけ、現在では日本の文化としてBONSAIという国際語に定着しています。

 

 {氷川神社}

 正確には、武蔵一宮氷川神社といいます。2000年以上の歴史をもつと言われ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった日本でも指折りの古社。武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝客で賑います。

 

 

 {鉄道博物館}

JR東日本の創立20周年記念事業のメインプロジェクトとして開館しました。明治時代から現在までの鉄道車両が展示され、運転シミュレータや鉄道業務の体験ができます。ミニ運転列車ランチトレイン(特急形車両を用いた休憩や飲食スペース)‥先日、利用者と一緒に見学に行きました。なかなか意思疎通が難しい人でしたが、涙を流しながら喜ばれていました。小さいお子さんから大人まで、遊ぶことができます。しかし日祭日は、混みますので、平日の見学をお勧めします。

 

 

 {大宮花の丘農林公苑}

      四季折々の花が、たくさん花開いており、市民の憩いの場になっています。

 

 

 

 

 素敵な花で、眼の保養もできたのではと思いますので、この辺で終わりにしたいと思います。東京におこしになったときには、ぜひ、さいたまにも足を延ばして見てください!!!!!!!!!!.

次は千葉営業所の小松さんにバトンタッチ!

 

『徒然なるままに・・』今回担当することになりました、東関東支店1課の重宮です。

こんなに早くこの時が訪れるとは・・。自分には来ないだろうと思っている方々、もうすぐかもしれませんよ・・・(笑)。

洗車って皆さんどれくらいに1度やってますか?僕は去年の7月に新車を購入しました。初めて買った車なので、2週間に1度は手洗いで洗車してます。少しやりすぎと思われるかもしれませんが・・。大切にしてるんですよね。最初はワックスを懸命に塗っていましたが、時間と労力が凄くかかるしムラができるので何か手軽でしっかりとコーティングできる物はないかと探してました。

そしたら、会社の人がこんなのがあるよと紹介してくれました。

それは・・

アクアクリスタルです!!

使用方法は結構簡単で、普通に洗車した後、ボディーが濡れている状態でアクアクリスタルをよく振ってからスポンジに吹きかけ、全体に軽く伸ばします。各部または全てに伸ばし終えたら、水をかけてスポンジ等でこすりながらよく洗い流し、その後水滴を綺麗に拭きあげてれば完了です。

簡単でしょ!!!

しかもドンキホーテに1本2500円ぐらいで売ってるんですよ。1本で半年以上はもつと思います。車体の大きさによって変わってくるでしょうが。

使用前後の写真を載せたいのですが、使用前の写真が無いので使用後だけ載せます。

とまぁこのように綺麗になった車で、家族3人でドライブするのが休日の楽しみとなってます。

 

つい先日、埼玉県幸手市にある「幸手権現堂桜堤」にお花見に行ってきました。

堤防のようになっているところに桜が咲いていて、その横には菜の花畑があり写真にもあるように菜の花畑を越えたところから見た風景には感動させられました。しかし、このように綺麗な風景とは対照的に菜の花の所を歩く時はなんともいえない異臭がして、なぜこのような臭いがするのかはわかりませんが、それにもまたびっくりでした。花粉とか花びらがこんな臭いがするんですかね。

 

権現堂桜堤について調べてみました。

権現堂桜堤は、天正4年(1576年)頃に築かれたといわれています。しかし、権現堂堤はすべてが同時期に築堤されたのではなく、河川流路の締め切りやそれに伴う築堤により部分的に作られていったものが後につながり、権現堂堤になったとされています。権現堂川は暴れ河川としても恐れられ、宝永元年(1704年)に、はじめて権現堂堤が切れてから、幾度も決壊をしてきました。その被害は遠く江戸にまでおよび、大江戸八百八町の半ばは水浸しになると言われ江戸を守る堤として大切に管理されてきました。

天明6年(1786年)権現堂堤木立村の波堤により濁流に飲み込まれた村人は、銀杏の大木にすがり避難していましたが、それも根こそぎ流され平野村須賀間に流れ着き無残にも75名という流死者が出てしまいました。このため、現在でも犠牲者の供養が行われています。この後も、幾度にも水害に襲われ、享和2年(1802年)にも、権現堂堤の月の輪堤部分が決壊をし、権現堂村では、80軒の民家が流される被害が出ております。

文政9年(1826年)には、度重なる堤の決壊に困り、堤の補強にと上宇和田村から松石村に至る権現堂堤に松の苗木1,300本が植えられましたが、根づかず何度か植えなおしが行われました。ですが、結局根づかなかったようです。この頃になると、堤の管理が甘くなり、天保3年(1832年)頃には、堤通りへ竹や木が植え付けられ林同様に茂る場所や屋敷同様に堤を囲い、河岸場の便利に任せ小段を切りならし、作付けのための小段とその他を掘り返し苗木を植え付けるなどの実態が指摘されております。野菜などの栽培をするようになったのもこの頃だと思われます。

この後、時代は江戸から明治へと移り変わり、明治9年6月4日に明治天皇の東北巡幸の際に築堤工事を視察するために駕籠を止めさせました。このとき、堤の名を行幸堤とすることが許され、記念碑を建てるために金100円が下賜されました。この頃、権現堂堤周辺は見渡す限り平野で堤上からは、西に富士山、東に筑波と眺めがよく、大正6年に「幸手町誌」を刊行した後上辰雄氏は、権現堂堤の風光として次のように記しています。

「春は若草のしとね青きを素足に心地快くふむで、眼下一面黄金と光る油菜の花をながめながら蝶と戯れスミレ・タンポポ・ツクシ等と摘み草に一日の暮れるのを忘れるだらう」

このように、権現堂堤は遠い昔より、人々の憩いの場所として親しまれてきました。度重なる水害にもめげず、その都度修復を行い権現堂堤と共に人々は暮らしてきたのです。

という歴史があるようです。

 

もう桜の季節は過ぎてしまいましたが、来年機会があれば皆さんも行ってみてはいかがでしょうか!!結構感動しますよ!!

では次回はいきいきらいふの門間さんです。

 

こんにちは。今回の徒然なるままに…を担当させていただきます、産業機械部 大村の船越です。

今回のために、熊本市現代美術館にて開催されている

「井上雄彦 最後のマンガ展」に行って参りました。

井上雄彦氏はご存じの方も多いと思いますが、「スラムダンク」「バガボンド」「リアル」

などのマンガの作者です。

この展覧会は宮本武蔵を描いている「バガボンド」に関するものです。

熊本市立現代美術館に到着です。

入口に巨大な武蔵の絵がありました。

残念ながら中は撮影禁止だったため、写真はありませんが、

簡単に紹介すると、連載されているストーリーとは別の武蔵の晩年のことが描かれた

漫画が展示されていました。

 

 

一通り見終わった後、グッズショップに行くと、

スタッフが記念写真を撮ってくれます。

一緒に行った大村支店の立石君と私です。

 

 

グッズショップではポストカードとTシャツを買いました。

 

 

 

 

 

 

美術館を後にし、近くの熊本城へ。買ったTシャツに着替えました。

後になって知りましたが、晩年は熊本藩主細川忠利に招かれ熊本で暮していたそうです。

 

 

 

 

 

 

墓も熊本にあるそうです。他にも色々と武蔵ゆかりの場所があったようですが、行けませんでした。

他にも馬刺しを食べたり、スザンヌのお母さんのキャサリン’S BARに行ったりして、

1日熊本を満喫してきました。

井上雄彦、バガボンドが好きな人はぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

私は行けませんでしたが、武蔵ゆかりの場所を巡るのもいいかと思います。

 

次は、アイティーシー東関東支店の 重宮 祐宇さんです。

 

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