アイティーアイ ICT専任部の高田です。

突然ですが下の写真の人、ご存じですか?

テレビで見たことある人もいらっしゃるかもしれませんが、茂木健一郎さんです。

その世界では有名な脳科学者です。売れてはいませんが、バンドもやっているそうです。その茂木さんがたまにテレビなんかで紹介しているのですが、「アハ!体験」という言葉聞いたことありますか?アハ!体験(a-ha!experience)とは、英語の間投詞で「ああ、なるほど」といった意味で、人はアハ体験の瞬間に、脳内の神経細胞が一斉に活性化するといいます。

私、このアハ!体験が結構好きで暇つぶしとしてはなかなか楽しいものなので、紹介させていただきます。アハ!体験を簡単に経験できるのが「アハムービー」と呼ばれる画像の一部が徐々に変化していくものです。

 

さっそく、下の動画を見てください。これは簡単です。

 

http://youtu.be/_U5NvOMpKj4

 

 

 

どこが変化したか分かりましたか?じっと見つめていても、なかなか分かりません。分かるまで、何度も見てみましょう。

わかった人やギブアップの人は、下の写真で答えを見てみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

では、次です。

 

 

http://youtu.be/rQXWZArfMUk

 

 

 

 

 

 

 

 

答えです。

 

 

 

 

 

 

最後です。

 

http://youtu.be/6Fjhas_z1X0

 

 

 

 

 

 

 

答えです。

 

 

 

どうでしたか?答えがわかった後に動画見直しても、脳は活性化するそうですよ。アハムービーはyoutubeなんかでは沢山アップされていますので、興味ある人は検索してみてください。

では、私のブログ終わります。お付き合いいただき、ありがとうございました。次は 長崎産業の 山本さんです。

 

 

情報システム課島石兄さんよりバトンを受け取りました、まだまだ都会に不慣れなITC本社総務課の大坪でございます。

住み慣れた長崎を離れて早2ヶ月。人生初の引っ越しをはじめ、怒涛のような日々を過ごしております。異動に伴い仕事内容もガラっと変わり、まだまだ教えてもらうばかりで迷惑かけっぱなしですが、出来る都会の女になるべく、公私ともに日々頑張っているところであります。

そんな変化のときを駆け抜けている最中の徒然バトンということでネタも豊富かと思いきや…改めて考えてみますと、上京して3ヶ月、日々通うスーパー以外、ほぼ外出していないことに気がつきました。毎日仕事が終わると真っすぐ家へ帰ります。休みの日は、家中を掃除するのが楽しみです♪生憎皆様にご提供できるような趣味もなく、徒然のネタになるような話題がありません。

唯一、2度ほど立ち寄った新宿では、見事に2度とも迷子になり・・・(笑)それはもう漫画のように、ぐるっと同じ場所に戻りまして、心折れました。

新宿怖い。。。都会、無理。長崎に帰りたい。。。。。あぁ・・・徒然のネタがない。

軽いホームシックと迫りくる締切へのプレッシャーに押しつぶされそうになっていたそんなある日、林田次長山坂次長より、笑顔の手まねきが♪なんと、ようこそ東京へということでお食事にご招待いただきました。素晴らしいタイミング~、これを書かせていただこう!同時期に上京して、勝手に同志だと思っております、東京支店業務課の黒木嬢と4人で、九州の会です。

 

場所は、その名も「馬か正直」

新宿3丁目にあります、熊本の美味しい馬肉とワインをいただけるお店でございます。(そういえば、誰もワインを呑みませんでしたね・・・笑)トラウマ新宿ですね。しかし今回は、林田次長を先頭にみんなで向かいましたので安心です。

 

予約してくださっていたので、さっそく美味しい料理が出てまいります。

極上 馬刺盛り合わせ をはじめ、

 

ポテトサラダ、アンチョビポテト、彩サラダ、どれもとっても美味しかったです。

馬刺はもちろんですが、特にポテトサラダが美味しくて・・何が入っていたのでしょうか?今度、家で研究してみたいと思います。

 

お酒も進み九州の話で盛り上がったころ、本日のメインが登場です~!

馬肉の鉄板焼き~!!!

 

さっそく菜箸をー♪と思ったら、「今日はご招待してんだから、任せとけっ」

 

という事で、お言葉に甘えて作って頂いちゃいました。

 

最後に締めのごはんとデザートまで、ペロリといただきました。(ここまで忘れずに撮った写真でしたが、お酒も進み、ついうっかり食べてしまいました。食べかけですみません…笑)

 

九州のものを頂きながら都会の先輩お二方と色々なお話をできて、本当に美味しく楽しい夜になりました。林田次長山坂次長、ごちそうさまでした。またのお誘い、お待ちしております♪♪

というわけで、とある日の九州の宴をお送り致しました。

お父さんお母さん、こんな素敵な方々と東京で楽しく働いてるよ~。体に気をつけて、二人で仲良くやってね♪ という家族へのメッセージも便乗させつつ、私の徒然を終わらせていただきます。暑い日差しに負けずに日焼け対策をしっかりして、暑い夏を楽しみたいと思います。

続いては、ICT専任部高田さんです。

高田さんには入社以来とってもお世話になっていまして、1年目のキックオフの際には挨拶回りにお付き合いいただき、長崎にいた頃はPCの事でわからないことがあれば、とりあえず頼っていました。また私の異動の際には、わざわざ福岡から長崎まで駆けつけて(?)下さいました。

そんな心優しい高田先輩へ、徒然バトン、お渡しします♪

 

マイクロエッヂ大阪営業所、澤田さんより御指名頂きましたITI本社情報システム課の島石と申します。

さて、せっかく御指名頂いたにも関わらずネタがありません。何かスポーツ系をネタにするにも暑さの苦手な小生には厳しい季節となりつつあります。。。というわけで涼しい夜のうちに海へネタ探しに行って来ました。ネタは・・・『獲って喰う!!』 に決定!

 

6~7月の夜ならワタリガニなんかもよくいるのですが、潮の流れが速く断念。長年使っている2mちょっとの竿にリールをとりつけて・・・餌を買ってきてない為、疑似餌(ルアー)を結びます。使用したのはこんな形のもの

【Nyoro Nyoro バチバチピンク“ つぶらな瞳にぞっこんラブ☆】

 

壁沿いに適当に投げてリールを巻きます。クルクルクル・・・クル・・・・・グン!乗りました!(魚が掛かる事を“乗る“と言う事もあります)あまり引きません。。。小さいか?網を手に取り引き上げにかかります・・・

 

           【網が可哀そうなサイズきました】

 

引きの割には意外と長さありました、70cmちょっとくらいですかね~ ただ取り込みで失敗した為、後で見ると網の柄の部分にヒビが・・・(TT)

 

        【せまそうです。。】

 

 

とにかくクーラーに収めて次へ。クル・・・・・グン!巻いてすぐアタリ! 大きく竿を上げると勢いよく何かが胸に直撃

 

   【自分と同じ大きさの物に喰らいつくヤンチャぶり】

・・・ハングリーさを学びました。・・・魚を胸トラップ ・・・危険です。 

 

↓他にもこんなのや

         【40くらい?即リリース】

 

↓こんなものが連発。

     【(ちょっとだけ珍しいヒラスズキも混じったり・・・)】

 

いつもはこんなに釣れません。この日はたまたまです。さて、一番大きなやつを〆てお持ち返りです。〆シーンは絵的にショッキングですので割愛。。。〆てワタを除く作業を釣り場で済ませておけば後は簡単!

【台所にて。立派な唇☆ミッ○ジャガーじゃないよ】

 

三枚に下ろして玉ねぎ、パプリカ、ニンニク、ジャガイモ、ローズマリ―をのせてオリーブオイルを二回し。魚が見えなくなるまで野菜をのせるのがコツです。

   【魚が見えないくら野菜で埋め尽くしてます】

あとはオーブンで200~220度で30分放置。料理はたったこれだけです。あ、うろこ落とす時はビニールをかぶせると後片付けが楽ですよ。

仕上げはレモンと塩コショウをお好みで☆ローズマリー等の香草は除いた方が見た目も綺麗に仕上がりますが今回は先に写真撮っちゃいました↓

        【香草は除きましょう】

魚が好きでなくとも自分で獲って料理して・・・となればきっと美味しく頂けます。子供の食育にも良いかもしれません。(と嫁に言い訳して釣りに興じている訳ではないですよ)

次回はITCへ電撃移籍、大坪さんへ☆無茶振りを快く引き受けて頂き感謝しております。

 

マイクロ・エッヂ 本社 熊野専務からご指名をいただきました マイクロ・エッヂ大阪営業所 澤田 正人です。

ある1日の行動を記載しました。

今年4月から町内会の役員(会計)を任され、役割としては各種会議の賄い、会議の代理出席、自治会の備品管理といろいろ仕事があります。まだ下っ端なので迷惑をかけないように頑張っています。

                

     【自治会館】                    【自治会館隣の地蔵尊】

 

7月13日【日】の1日の行動をお知らせします。

1) 午前9時から校区町内清掃実施(2回/年)のため、ゴミ袋、ゴミ拾いトング等を準備して、煙草の吸殻、空き缶を拾う。

※同級生と会えるのも楽しみです。

 

       

 【太っている人(本人)】         【収集したごみ】

※ゴミ拾いで汗をかいた後の、冷えたお茶はおいしい。(ビールではありません・・・・)

 

2)消防訓練実施(午前10時から)

訓練の想定:自治会で集会中に、炊事場から出火し、延焼拡大!。

① 私が第一発見者となり大声で火災であることを知らせる

② 消防署に連絡。住所、目標をきちんと知らせる!

⇒6組、7組の組長

③ 消火活動(消火器・バケツリレーで初期消火を行う。)

青年団団長・子供会会長、その他役員

④ 避難誘導  屋外の安全な場所に避難させ点呼、逃げ遅れの確認を行う。

自治会長、3組、4組の組長

 

※消防署には、本当に連絡するとは思っていませんでした。消防訓練を実施していることを連絡する必要があるみたいです。(年/2回実施)

※1回だけの実施だと連合会議の時、色々と言われるそうです。(会長談)

 

3)組長会議(午後7時から)

  ・隣組長10名に、堺市からいただいた資料を配布。(回覧)

  ・粗大ごみ収集日

  ・自治会費の集金

これが、本日の私の1日でした。これで終わりと思いきや、会議終了後、役員だけで飲み会がありました。あ・・あ・・早く帰りたい。

次は、アイティーアイ株式会社 総務本部 情報システム課 島石さんです。

新事務所(M.E大阪営業所)でシステムを立ち上げる際、大変お世話になり、ありがとうございました。

6月下旬のある日、つくば地区のユ-ザ-で行っていたデモの装置を引き取りに向かう途中、アイティ-シ-㈱の斎藤部長より携帯電話に連絡がありました。ああ、もしかすると先日発表されたサ-モ社の安全キャビネットの件かなと思いながら話し始めたところ“徒然なるままに”の寄稿を依頼するとの内容でした。いつかは寄稿することになるので、快諾とはいかないまでも承知致しました。原稿の締切までは1ケ月あるとのことでしたからのんびり構えていましたが、本社の村田さんから連絡が入り、締切は7月7日(月)とお聞きし慌てて本稿をまとめてみました。

6月29日(日)に行田市で行われた「万作の会」という狂言を観劇に行きました。出演者は人間国宝の野村万作・萬斎親子でした。冒頭、野村萬斎氏による狂言の観方についての解説があり、楽しく観劇することができました。後で知ったのですが、狂言は古典的な漫才で、能の合い間に行われるものであるそうです。この「万作の会」は昨年に続き2年連続で行われています。行田市長が文化の町を標榜し盛んに文化活動を行っているのです。この「万作の会」と行田市との関わりは2012年公開の映画「のぼうの城」が縁であり、行田市長が主人公成田長親役の野村萬斎氏に申し入れ公演が実現したと聞いています。

「のぼうの城」は、この行田市にあった忍城のことで、豊臣秀吉の小田原攻めの一貫として行われた忍城水攻めの攻防をエンタ-テイメント的に描いた作品です。地元の歴史が映画化されため、映画の中には聞き慣れた地名が数多く出てきます。そのなかに下忍村の“たへえ”という人物が出てきますが、この下忍村こそ私が現在住んでいる現鴻巣市下忍なのです。当時の下忍村は、現在の行田市と鴻巣市にまたがっていて、昭和の大合併により、二つに分かれました。

天正18年6月、城攻めの総大将は石田冶部少輔三成、参謀に大谷形部少輔吉継と長束大蔵大輔正家といったそうそうたる面々で、2万の大軍が忍領に攻め入りました。一方、忍城方は城主成田氏長の従兄弟の成田長親を総大将とし、兵力は一千騎、勝てるはずがない戦が始まろうとしていたのです。このとき城主成田氏長は関八州の覇者、小田原城主北条氏直の求めに応じ出陣しており、城を留守にしていました。

いくさの前の交渉で戦いに決した双方は、それぞれ陣立てて、いくさに備えました。当初、地の利を得た忍城方の優勢でいくさが始まったようです。2万の大軍をしてなかなか攻め落とせない忍城ですが、落ちない要因としてこの城が湖沼や深田に囲まれているためでありました。攻める兵が足をとられ自由に動きまわることができないのです。城に通ずる道も湖沼や深田があるがため限られてしまいます。守り手はそれらの道を重点的に守備固めしたのです。別名、忍城は忍の浮城と呼ばれ戦国の名将上杉謙信が武蔵の国に侵入してきた折も、攻めに手こずったとの記録が残されています。忍の武将は坂東武者の末裔であり、城に籠城した周辺の百姓も元を正せば武士で帰農したひとびとでした。嫌が負うにも士気が高まったのでしょう。なかなかの奮戦であったようです。

現代の忍城址と郷土史博物館(行田市観光課ホ-ムページより)

 

ところで、この映画のタイトルが「のぼうの城」となっていますが、「のぼう」とは「でくのぼう」のことで、「でく」を省略したものです。「のぼう様」とは成田長親のことを指します。和田竜の小説のなかでは、領民にそう呼ばれていたと書かれています。田んぼや畑仕事が好きなのですが、なにをやらせてもうまくできない無能労働者(和田竜氏)なのです。田んぼのあぜ道に座っては百姓の田仕事を見ていて手伝いの求めくるのを待っています。しかし、百姓は前年の長野村(忍領の一部)での騒動(のぼう様に田仕事を手伝ってもらったがために田んぼが大なしになってしまった騒動)を聞き、手伝ってもらうことを敬遠しています。

このような行動や言動のためか「のぼう様」と、半分バカにした呼ばれ方をされます。しかし、どこか憎めない性格の持ち主が主人公なのです。

この「のぼう様」成田長親役を演じたのが野村萬斎氏です。狂言の公演を見て分かったのですが彼のセリフの言い回しが、狂言のそれと同じであることに気づきました。この萬斎氏の面白い言い回しにこの映画のエンタ-テイメント性を感じます。

話をもとに戻すことに致します。忍城をなかなかうまく攻めきれない状況に至り、丸墓山に陣取る三成の思いついた作戦が水攻めでした。この戦法は、天正10年5月、豊臣秀吉が備中高松城を落とすときに用いた戦法で、三方を山に囲まれた高松城の周囲に堤を築き川の水を流し込みました。城のまわりが水没し地域とやりとりを遮断させ城の兵糧が尽きるのを待つという戦法です。この戦法をかねがね自分でやってみたいと考えていた三成は、大谷吉継らの反対を押し切って実施するのです。大谷吉継が反対した理由は、加勢しに参集してきた武将の手柄を立てる機会が失われることとなり、武将らの戦意を削いでしまう恐れがあるためです。これまで手柄を立てのし上がってきた戦国武将には、面白くないことはよくわかります。

かくして天正18年6月、忍城水攻めが行われます。武蔵の国忍城は、北に利根川、南に荒川に挟まれた低湿地帯にありました。季節はちょうど梅雨時です。忍城のまわりに堤を築き、両河川の水を流し込んだのです。たちまち水は城下を飲み込み、本丸に迫ってきました。この堤は地元で石田堤と呼ばれていて、現在でも一部その名残があります。ちょうどその石田堤の内側に、我が家があることになります。世が世であれば、我が家も水の底だったかもしれません。やがて、堤は領民によって切くずされてしまいます。もはや三献茶の男から脱却したい三成はがっかりしたことでしょう。

すこし前に戻るのですが、三成が陣取った丸墓山について少し触れておきたいと思います。この丸墓山は、忍城より東南の方向約1kmくらいの距離にあり所謂古墳です。この地域は古墳が多く存在し、さきたま(埼玉県の県名由来の地)古墳群と呼ばれています。昭和53年には古墳群のなかの稲荷山古墳で金錯銘鉄剣が発見され国宝に指定されました。現在、行田市のさきたま史跡の博物館に展示されています。

石田三成が陣を構えた丸墓山 行田市観光課ホ-ムペ-ジより)

 

さて、そうこうしているうちに、何てことか小田原城が豊臣側に落ちてしまいます。このことを知らない忍城ではなおいくさが続いていました。しかし、やがて小田原城が落城したことを知った忍城は、開城し和平交渉を始めます。秀吉の小田原攻めで唯一落城しなかった城として後世に伝わっています。

最後に、私が住んでいる鴻巣市下忍(正確には旧吹上町下忍)には、「のぼうの城」にも登場することを先ほども記しましたが、石田堤の一部が史跡公園として残っています。この石田堤の周辺を造成して町民プールを建設する際、複数の人骨が出てきたと、町の郷土史家から聞いています。勝手な思い過ごしかもしれませんが、私はこれらの人骨はもしかしたら、忍城水攻め際に戦死した兵の亡骸ではないかと想像しています。近くにはさきたま古墳群もあり、歴史に思いを馳せる史跡が私の歴史好きに火をつけます。

(現在に残る石田堤 行田市観光課のホ-ムペ-ジより)

 

今度、機会がありましたら埼玉県行田市、鴻巣市を訪ねてみてください。歴史のかけらがあちこちにあります。歴史の一部を感じることができるでしょう。

                             ㈱マイクロ・エッヂ・インスツメント   熊 野 栄 一

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