徒然なるままに・・・を投稿するにあたり、そもそも、「徒然なるままに」とは、というところから紐解いていくこととする。

「徒然なるままに」は、ご存知の通り、吉田兼好(兼好法師)が鎌倉時代の末期に書いたとされる随筆、『徒然草』の冒頭のことばにある。(Wikipediaより参照)

『つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』

『することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日中、硯に向かって、心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけていると、(思わず熱中して)異常なほど、狂ったような気持ちになるものだ。』(manapediaより引用)

 

「徒然なるままに」は、上記を踏まえて考えると、特にすることがなく、休みの日のお昼時を過ごしている今の私が書くことばそのものである。

とは言っても、何を書こうか考えてしまい、なかなか文字を打つ手が進まないのも然り。

朝ご飯も昼ご飯も食べていない今、お腹が空いて、何も頭に浮かばないのも然り。

 

お腹が空いたといえば、私は、“食”への興味・関心の度合いが低い。これは母親譲りである。母はよく、「人間は何故、一日三食なのだろう」と言う。私も同意見である。ただ、“食”への感謝の度合いは高いと自負している。これも母親譲りである。“食”が当たり前でない環境は、日本でも、そして世界の隅々を見渡せば、数えきれないほどある。小さいころ、嫌いな食べ物を残そうとしている私を見た母は、「当たり前にご飯を食べれる環境が整っていないところに住む子どもたちなら、それを喜んで食べるよ」と教えてくれた。

 

ようやく四半世紀生きた私である。残りの人生、“食”への感謝の気持ちだけはなくすことなく、また、その感謝の気持ちをもって、興味・関心の心も絶やすことなく過ごしていきたい。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」のことばとともに、そっと手を合わせて。

徒然なるままに・・・

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